東急バス 20周年記念誌
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 東急バス労働組合の前身である東急労働組合は,戦後の1945(昭和20)年12月10日,現在の多摩川線多摩川駅前にあった﹁多摩川園劇場﹂において﹁東急従業員組合﹂を結成した。これが東急としての労働組合のスタートであった。 翌1946年には﹁東急労働組合﹂と名称を変更し,その後1948(昭和23)年の大東急企業分割により,労組は組織を分離し(現在の小田急,京王,京浜,東急百貨店労組の結成など),東京急行電鉄の従業員を中心とした﹁東急労働組合﹂として再スタートする。以降バス関係は現業職場を中心に1992(平成4)年まで﹁自動車支部﹂として,鉄道支部,本社支部とともに活動を進めた。なお,自動車支部事務所は会社の事業計画などにより中目黒ガード下,瀬田営業所,渋谷東横線ガード下,そして中延営業所の廃止に伴い中延営業所工場事務所2階へ移転した。 1990(平成2)年11月26日の東急電鉄からの自動車事業の分離(分社化)提案は労組内で大きな議論となったが,会社は組合との間で将来展望,処遇などについて真摯に誠実に協議を重ね,合意に至った。 業界に先駆けての分社化であり大きな決断であった。そして東急バスが運行を開始した翌年の1992年7月9日,大井町線等々力駅前の﹁玉川区民会館﹂で東急労働組合より分離独立する結成大会を開き﹁東急バス労働組合﹂がスタートした。 分離独立した東急バス労働組合は本部事務所を﹁東急労働会館﹂に置き,7月17日に会社と団体交渉を開き,東急労働組合との間で締結していた労働協約などについて,地位の継承を図るための協定調印を行った。なお,上部団体の私鉄総連へは8月1日付で加盟した。 バス事業の規制緩和を視野に,生き残りのための施策として,既存の形にとらわれないバス事業者﹁株式会社東急トランセ﹂を1998(平成10)年4月8日に設立し,同年7月28日﹁代官山循環線﹂の運行を開始した。その後東急バスよりバス路線の管理を受託し,東急トランセの事業が拡大された。事業の拡大に伴い従業員の互助会組織として﹁トランセ会﹂が発足,2000(平成12)年1月16日に﹁東急トランセ労働組合﹂がスタートした。 会社の違いにより﹁東急バス労働組合﹂﹁東急トランセ労働組合﹂の2つの組合は別々の道を歩んでいたが,東急バスグループで働く者として,﹁東急バスファミリーフェスティバル﹂﹁歩こう会﹂などのレクリェーションの共催や技術職の交流を通じて,組合をひとつにとの気運が高まり,乗務職の東急トランセから東急バスへの転籍制度の実施時期に合わせて,2009(平成21)年4月1日より統一した﹁東急バス労働組合﹂となった。 統一した労働組合は東急バス,東急トランセの2社との間で労働協約を結び,現在に至っている。682001~2011年の動き労働組合について東急バス労働組合との第1回団交(1992年7月)東急バス・東急トランセ2つの労働組合の統一大会.2つの組合は2009年4月に﹁東急バス労働組合﹂として統一された組合員家族からも人気の高いレクリエーション﹁東急バスファミリーフェスティバル﹂1. 東急労働組合2. 東急バス労働組合の結成3. 東急トランセ労働組合の発足4. 現在の労働組合

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