東急バス 20周年記念誌
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 今から30年ほど前のバスボディーはモノコックボディーといわれフレームがなく,鉄板と骨をリベットで止めてそれらを組み合わせ,卵の殻のように全体の強度を持たせる構造であった。全体に丸みを帯びてリベットが数多く打たれているのが特徴である。1970年代の終わり頃からスケルトン構造といって角チューブで骨格を作り強度を負担させ,そこに鉄板を貼り付けていく方法へと変化した。側版はゆがみをなくすため3トンもの力で引っ張りながらスポット溶接を行い,リベットがなくスッキリしたボディーとなっている。当社は一時期バスを15年使用していたので,ボディー再生と再々生の2回工事を行っていたが,NOx・PM法による12年使用とボディーの高品質化もあり,数年前からライフ途中に1回だけの,修理とクリーニングを主体にした再生へと移行した。以下に,東急バスのボディー修理・再生を担当した各社を紹介する。◦キンカ車両:大田区久が原の第二京浜国道近くにあり,大規模修理などを行っていた。1971年の長野線廃止に伴い,冷房車であったことから,デラックス観光バスへの塗色変更なども実施した。1972年にボディー工事から撤退した。◦東横車輌電設:東急電鉄の鉄道車両や電設の工事,特装車の架装などを行っていたが,キンカ車両の撤退に伴い同社従業員を吸収しバスボディーの再生,事故車の修理を始めた。その後,各新車メーカーの協力工場となり技術の向上を図り,各種改造工事やモーターショー展示車の製作も行うなど技術の高さは定評がある。現在の当社ボディー工事のほとんどを担い,2008年に東急テクノシステムに商号変更した。◦大一自動車:大宮を拠点にボディー工事を幅広く行い,当社が再々生工事を開始する時に,東横車輌に一部技術指導も行った。2000年にボディー工事から撤退した。◦シュミットモータース:川崎営業所近くの府中街道沿いの工場でボディー再生,事故車修理を実施していた。作業者数人の小回りのきく工場であり,当社にとって大変便利な会社であったが,2003年に社員の高齢化のため廃業した。◦恒陽:さいたま市に工場があり,2004年から事故車修理を,2008年からボディー再生工事を実施している。1948年以来の富士重工業の協力工場という歴史がある。 現在国内のバスは年々厳しい排出ガス規制がかけられ,首都圏近郊の事業者ではNOx・PM法により新車登録から12年で使用できなくなってしまう。その際,バスは所有者が抹消登録の手続きを行うことによって廃車となる。当社では廃車にする際,東急グループ各社からの譲渡依頼以外は,2006(平成18)年までは永久抹消登録とし,数万円で車両を売却(解体)し自動車取得税の還付(約30万円)を受けていた。しかし地方には首都圏のようなNOx・PM法の対象地域でない地域がまだ多く,中古車でも需要があることから2007(平成19)年より東急電鉄と協議を行い,相互にメリットが出ることを目的に,一時抹消登録とし再使用することとした。譲渡車両はエンジン・足回り・ボディーともに整備が行き届いた車ということで非常に評判が良く,グループ会社以外からも売却要請があるが,廃車数にも限りがあるため譲渡先は東急グループの㈱じょうてつのほか,元東急グループなどを含む以下の各社となっている。〈2010(平成22)年度譲渡実績〉じょうてつ 4両,宗谷バス 2両(22両),函館バス 7両(81両),上田バス(旧上電バス) 1両,南越後観光バス 3両(11両),越後柏崎観光バス 3両,JRバス関東 6両,中国バス 3両(13両),那覇バス 8両。このほか2009年度までに北海道北見バス,草軽交通などにも譲渡している。※カッコ内は現在の稼働数(各社回答いただいた範囲で記載)61キンカ車両で貸切車(ゴールデン・デラックス・バス塗装)に改造された元長野線用の三菱ふそうAR470川崎市の東急テクノシステム自工部にボディー修理・再生で入場中の東急バス函館バスに譲渡された日野HT.函館バスは在籍車中の80両以上が東急バスからの購入車である草軽交通に譲渡された日野HUワンロマ車.同社へはほかに一般路線車や空港バスも譲渡している1. バスボディーの変化とボディー再生2. 東急バスから各地への譲渡車東急バス歴史散歩バスボディーの変化,各地への譲渡車

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