東急バス 20周年記念誌
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2001~2011年の動き営業所会計業務の推移 1991(平成3)年の分社当時,営業所の精算機はバスの運賃機から取り出した運賃箱を投入するとコンテナ(通称﹃ガン箱﹄)に落ちる仕組みだった。また当時の運賃機は回数券を購入すると運賃機から排出される仕様であったため,車内で発売された回数券の売上げも精算機で集計していた。精算機のデータと回数券の売上げを終車の分まで計数し,泊勤務の助役が集計して報告書を作成した。翌朝は事務員が交換して封印,コンテナはただの大きな箱であったため,蓋をする時は小銭がむき出しになっていた。封印の方法も針金に﹁がん玉﹂と呼ばれるアルミ玉をペンチで挟んで封印していた。 当時,荏原営業所の敷地の一部を国民銀行に賃貸しており,その関係で収入金の運搬業務と精査業務を国民銀行に委託していた。回収したコンテナは銀行の裏手にあたる荏原計算センターに持ち込まれた。そこは国民銀行との共用施設であり,当社の社員と国民銀行の行員が一緒に再精査して収入金口座に入金をしていた。 1994(平成6)年9月にバス共通カードの導入が始まり,料金機もカードリーダー付きへと変更になった。同時に精算機もコンテナを引き出す際に自動で蓋が閉まるように改良が加えられた。1999(平成11)年7月の組織改正により荏原計算センターから荏原財務事務所へと名称を変更した。2000(平成12)年7月には国民銀行の破綻に伴い,運搬業務は日本通運に外注化した。精査業務については引き続き当社で精査したため,荏原財務事務所に大型の硬貨計数機も導入した。 その後,PASMOの導入により現金の取り扱いが減少していき,業務の効率化を図るため,2007(平成19)年6月に当社で行う精査業務を日本通運にすべて委託して,荏原財務事務所は幕を閉じた。 同じく分社当時,定期券は紙券による発売で,区間指定の定期券などはそれぞれ専用のハンコで押して作成していた。定期券などの売上金は,日報という用紙にカーボン紙を挟み,手書きで記入して集計していた。前日の残存初番号から当日の残存初番号を引いた差数が発売された数ということになる。日報の種類も表紙となる納金日報以外に定期券日報,共通定期券日報,回数券・カード日報など多種あり,それらの日報を再度手でシステムへと入力して会計へと売上げ計上していた。そのためすべての営業所・案内所を合わせると,1か月で2,000枚近くの日報があった計算になる。 一方,小口現金等を処理していた旧オンラインシステム(ACOS)についても,老朽化により代替を迫られていたことから,会計業務の効率化を目的に2003(平成15)年8月より営業所会計システムが稼働した。導入されたタッチパネル付きディスプレイは,当時としては画期的なものであった。同システムで取り扱うデータはオンラインにより一元管理がなされており,翌営業日には発売状況を把握することが可能となった。システムの導入に合わせ,会計業務の見直しも行われ,営業所における業務軽減に大きく貢献することとなった。601990年代,硬貨と回数券を分離できる券銭分離機による精算業務の様子.だがその後のバス共通カードやICカードPASMOの導入により,現金や回数券の取り扱いは減少していった昭和の時代の精算業務から.左は硬貨計算機でのワンマンバスの釣銭準備作業,右はコンテナへの収入金移し替え作業.いずれも1968(昭和43)年1. バス運送収入の精査2. 定期券・回数券発売など営業所の売上金

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