東急バス 20周年記念誌
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 東京から多摩川を渡り川崎市に入る中原街道と川崎市を東西に貫く府中街道が交わるのが﹁小杉十字路﹂で,同名のバス停留所がある。東急バスの6路線が利用する交通の要衝で毎日,多くの市民が利用している。 我が国の交通史をみると,バスは100年を超える歴史を持ち,明治時代後半からは路線バスが各地で走り始めている。 一方,わずかな期間ではあったが路線馬車の時代があったことはあまり知られていない。 自動車の登場とともに馬車はバスに変わっていったのであるが,多くは馬車と同じ路線をバスが走るようになったことから,停留所の多くも同じ地点に残った。 1913(大正2)年に川崎~溝の口間を結ぶ路線馬車が走り始め,この時小杉十字路に路線馬車の停留所が設けられた。馬車は1時間おきに走っており,小杉十字路から川崎までは40分ぐらいかかっていたようである。 この﹁小杉十字路﹂停留所を乗合自動車(バス)が利用するようになったのは1920(大正9)年からで,路線馬車と同じ川崎~溝の口間を結ぶ路線であった。 中原街道側では新丸子駅と横浜市港北区の勝田町までを,やはり乗合自動車が走るようになっていた。 バスの停留所は,標識のポールが立ててあるだけで大きな施設でもなく,特に路線の途中から利用する人々,住民にとっては空気のような物,意識としては時間になればバスが来て乗り降りできる所,といった以上にはあまりならない。 しかし﹁小杉十字路﹂停留所が1913年に最初に設けられて以来,初めは馬車で,次いでバスにより100年近くの間,﹁地域の駅﹂として利用され続けている。 川崎市は東京と横浜に挟まれ,多摩川に沿って東西に約40キロ弱の細長い市である。東京を起点とし,江戸の時代から東海道,中原街道,大山街道(国道246号)と多摩川を橋で越えて市域を南北方向に貫いている道は多い。 一方,市の東西方向は最近でこそ整備されてきているが,かつては府中街道が唯一と言ってよく,東京に出るには人も物も府中街道で多摩川を渡れる,橋のある道(街道)まで行かねばならなかった。 馬車路線は溝の口から更に川崎市の西の方,現在の高津区から多摩区,宮前区方面にも広がっており,一つは二子から溝の口,久地,長尾から榎戸まで。もう一つは二子から大山街道を馬絹,有馬,荏田までであった。馬車は8人乗りで1頭の馬が引き,御者が吹くラッパの﹁テト・テト﹂の音や,砂利道をがたがた走ったことから,地元では﹁テト馬車﹂とか﹁ガタクリ馬車﹂と呼ばれていた。料金は距離により10銭から30銭程度であったようだ。 これらの路線は現在も東急バスが走っている部分がある。﹁小杉十字路﹂のほかにも当時からのバス停がある,と思っている。59寄稿:交文社 小林英世小杉十字路は府中街道と中原街道が交差する交通の要衝である小杉十字路停留所.川崎市営バスとの共同使用で,現在7つの系統が経由する東急バス歴史散歩100年停留所﹁小杉十字路﹂

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