東急バス 20周年記念誌
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 当社では創業20周年を記念して2011(平成23)年度新車の一部に,かつての乗合車や貨切車などのカラーリングを復刻塗装したが,ここでは戦後の東急バスの歴代塗装を振り返る。●戦後の復興期 戦後の東急バスの標準色は銀色に赤帯,フェンダーおよびバンパーを黒色とし,側面には大きな﹁T.K.K.﹂のロゴが入っていたが,1950(昭和25)年頃,新車は銀色+赤帯にフェンダー部を含む車体裾部を水色で塗装されるようになった。車体:銀色/赤帯/水色,帯文字(社名・社番):金色ホイール:黒色(リング:銀色),バンパー:メッキ●標準色のリファイン バスといえばボンネットバスが当たり前であったが,国産のリヤエンジンバスが1950年から販売され,1953(昭和28)年には日野自動車がアンダーフロアエンジンバス﹁ブルーリボン﹂を発売,この頃には赤帯の上下に黄色の細線を加え,前面中央で赤帯(黄色の縁取りも)を下方に落とし込み,裾部の水色の立ち上げ部と接するデザインとなった。1956(昭和31)年頃には裾部の水色の波型を直線的な鋸刃状に改めた。●塗装の簡素化(1968年) バス事業を取り巻く状況が変わりコスト削減が急務となり,1968(昭和43)年10月から塗装工程の合理化を図るため,水色と黄色を廃止することとなった。赤帯を180㎜とやや太くし,前扉部分の帯幅も広くしてメリハリをつけている。車体:銀色+赤帯バンパー:クリーム色,ホイール:黒色(リング:銀色)﹁T.K.K.﹂レタリングの取りやめ 新車については1968年11月納車の昭和43年度下期購入車から新塗装となった。当時は車検(12か月点検)のたびに工場で車体の全塗装を行っていたこともあり,約1年間で長年親しまれた旧塗装は姿を消した。バンパーについては,かなり遅くまでメッキバンパーが見られた。また,昭和43年度上期の購入車まで両側面に付いていたサイドバンパー(メッキ)も徐々に外されていった。ホイールは1971(昭和46)年頃からグレー1色となった。 細かなところでは﹁東京急行﹂の帯文字に,1975(昭和50)年頃から所定のロゴタイプを使用するようになった。●109車の登場(1985年) 1985(昭和60)年,目黒営業所所管路線において運行管理システムを導入,車両についてもエアサス,ハイバックシートなどを採用したハイグレードな車両﹁109﹂が導入された。従来の東急バス仕様とは大幅に異なり,それをアピールするためもあり,車体の上部,下部に赤帯を入れイメージチェンジを行った。またバンパーは乗合車で初めて黒色となった。1986年,目黒﹁109﹂車が大変好評であり,他路線においてもグレードアップ車両を導入することになり,グランド線用として瀬田に11両を集中配置,ほかにも5営業所に5両を分散配置した。これらを﹁ワンロマ車﹂と呼称し,貸切兼用であるため当時貸切バスに使用されていた金色をあしらったデザインとなり,屋根上は前半:金,後半:銀で,間に赤いV字型を描く塗り分けとなっていた。●ノンステップバスの登場(1997年) 1997(平成9)年,当社初のノンステップバスが目黒に集中導入された。基本的に代替車である﹁109﹂車と同様の塗り分けで,青色で“Non Step Bus”と記した。561956~1968年に採用された銀色/赤帯,裾部水色が鋸刃状の塗装.長野線用の三菱ふそうAR4701968年から採用され現在も少数が経年車に残る,上掲塗装の簡素化塗装.いすゞBU04D目黒通り新交通システム用グレードアップ車﹁109﹂(三菱ふそうP‐MP618K)に採用された,側面上下に赤帯を加えた新デザイン.現在はワンステップバスに採用﹁109﹂に続くグレードアップ乗合車および貸切兼用車(ワンロマ車)に採用された,銀/赤に金を加えた貸切車風塗装.いすゞP‐LV218N1. 乗合車東急バス歴史散歩戦後の車両デザインの変遷

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