東急バス 20周年記念誌
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●戦後の4桁社番時代(例:3640) 1948(昭和23)年頃からディーゼル車が入り出して3000番台の社番となった。4桁表示の上2桁が営業所を表し,下2桁が営業所独自番号だった。【営業所別番号=上2桁】30:池上,31:不動前(1969年廃止=大橋新設),32:目黒,33:川崎(2010年廃止),34:淡島,35:瀬田,36:荏原,37:弦巻,38:中延(1981年廃止=青葉台新設),39:日吉(1993年廃止=東山田新設),50/51:高津,53:駒沢(1984年廃止),54:新羽。なおガソリン車は1000番台,観光車は2000番台。【所内番号下2桁】下2桁は営業所独自で決定するため,新車や転入のつど空き番号を振ることから同一年式でも連番にならないなど分かりにくく,また移籍のつど社番が変わるので,車歴簿(車両の整備歴,燃料成績,車検歴,自賠責証歴等を台帳担当者が記入していた)に社番歴を記載し過去の営業所との整合性をとっていた。●全社統一連番(例:T190) 車両数が増加をたどり,100両超の営業所もでき,1969(昭和44)年の玉川線代替輸送で150両超の大橋営業所が新設されることに先立ち,1969年2月から全社一連番号とし,廃車まで社番は変わらないこととなった。また所属営業所については先頭にアルファベットで入れることとした。A:淡島,O:大橋,T:弦巻,S:瀬田,K:駒沢,M:目黒,N:中延,E:荏原,I:池上,TA:高津,KA:川崎,H:日吉,NI:新羽,AO:青葉台,NJ:虹が丘 結果的に神奈川県内は日吉を除き2文字表記となった。東山田開設の時は,日吉からの移管ということでHのままとなった。1999年にはSI:下馬が加わった。●車体再々生社番(例:NI 1699) 1965(昭和40)年から1969(昭和44)年にかけて新車を毎年100両以上大量購入したので,その代替を考慮し,1975(昭和50)年に車両寿命延長による平準化を試みた。それまで10~12年使用であった大型車のボディーを5年若返らせる大工事を実施し,15年まで延ばす検討を行った。また車両メーカー4社に当社12年使用済車の足周りを完全分解して安全性の確認も行い,大型車の15年使用を実現した。それを﹁車体再々生﹂といい,1965年式以降の車両の半数程度に実施した。それらの車両の社番は新しく生まれ変わったという意味で,新社番“1500番台”とした。ちなみに﹁電車とバスの博物館﹂に展示されている1525号車は再々生車の1台で,再々生実施の25番目を意味する。1970(昭和45)年度以降の購入車は全車再々生の対象となったので,改番はとりやめた。●購入年度表示社番(例:M776) 全社統一連番はコンピュータで管理してきたが,年度が変わるたびにメーカーと車番が入り混じってしまうことから,もっと分かりやすい方法が検討され,1985(昭和60)年度から上1桁を購入年度と連動させ(例:1985年度は600,1986年度は700),下2桁でメーカー(00~24:日産ディーゼル,25~49:日野,50~74:いすゞ,75~99:三菱ふそう)と,社番を見るだけで購入年度,メーカーが分かるようにした。●現行の社番(例:TA1080) ところが排出ガス規制の関係で年度あたり100両以上購入する場合,あるいは1つのメーカーを26両以上購入するケースでは,はみ出た社番は6000番台,7700番台…と4桁で対応せざるを得なくなった。そのため2007(平成19)年に再度見直しを始め,2008年度から800番台とし購入年度と一致するようになった。ちなみに現在は1000番台が一般路線,2000番台が貸切,3000番台が空港線,4000番台が養護学校,6000番台が小型車で,2桁目に西暦年式の末尾1桁を基本とした。例として,3175号は空港線2011年購入の三菱車である。553453.戦後の4桁社番を持つボンネットバス,三菱ふそうB25で,上2桁の34は淡島営業所所属を示すA1653.4桁社番(3407)で入籍後,1969年に統一連番(A872)に改番され,さらに1977年の車体再々生で“1500番台”の1653に改まった三菱ふそう車上:O 31.購入年度表示社番を持つ日野車.購入年度表示は1991年度=000すなわち表示なし,車種・固有番号は同年式日野車(25~49)の7番目を意味する下:T901.2008年度から購入年度末尾1桁と社番の100番台の数字が一致した.901は2009年度の日産ディーゼル車の2番目を示す東急バス歴史散歩戦後の社番の移り変わり

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