東急バス 20周年記念誌
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4 東急バス創立20周年を迎えるに当たり,いつもご愛顧いただいているお客さまに感謝を申し上げます。また,ここまで事業を継続・発展させ,﹁日本一のバス会社﹂を実現するため日夜ご尽力されてきた歴代の役員・従業員のかたがたにも心から感謝をいたします。 東急バス・東急トランセの路線は東急電鉄沿線を中心とした東京都特別区の西南部と,川崎市および横浜市の北部が主体ですが,路線環境に恵まれ,収益率では関東地区のバス事業者でトップクラスに位置しています。これは大変ありがたいことです。しかし,優良な環境に胡坐をかいた旧態依然なサービスのままでは,公共交通といえども,お客さまの支持を失いかねません。それだけにこの20年間,常に魅力ある新しいバスのサービスを追求してきました。 本年4月,新たに就任された東急電鉄の野本弘文社長は,約10年後の2022(平成34)年に迎える電鉄創立100周年に向けて﹁3つの日本一﹂,即ち﹁住みたい沿線,日本一﹂﹁訪れたい街,日本一﹂﹁働きたい街,日本一﹂というビジョンを掲げ,東急グループの総合力を活かした街づくりを目指すことを示されました。特に﹁住みたい沿線,日本一﹂については,これまで各社とも常に努力を重ねてきたところですが,交通事業者にとって自社の沿線が多くの方から﹁選ばれる﹂ことは非常に重要です。 大量輸送できる鉄道と比較すると,バスは輸送規模こそ小さいですが,より身近な輸送機関といえます。東急バス・東急トランセは,主要エリアである東急沿線が﹁日本一の街,選ばれる街﹂となる上で,身近な輸送機関なりにどのように寄与していくかが大きな命題だと考えています。その実現には安全運行はもとより,便利な路線とダイヤ,優れた接客とサービス,乗りやすくて快適な車両などが欠かせません。もちろんこうした施策は東急電鉄自動車部の時代から連綿と実施しており,これからも続けてまいりたいと考えています。 本年3月11日の東日本大震災の際,22時すぎに運転再開した東急電鉄各線は終夜運転を決定しました。運転見合わ東急バス株式会社株式会社東急トランセせの間,お客さまが集中してフル稼働だった当社は深夜のバス運行をどうするか判断を迫られましたが,﹁電車が走る時間帯はバスも走る﹂との基本方針から,深夜バス系統を中心に翌朝4時頃まで運行しました。さらに本社・営業所間の連携と迅速な判断で,予備車両をお客さまの需要が多かった地区へ移動し充当するなど,輸送力を確保するための対応を行いました。 これに対し,数々のお褒めの言葉を頂戴しましたが,公共交通機関として,また﹁日本一の街,選ばれる街﹂づくりのためには当然行うべきことであった,と考えています。 1991(平成3)年10月の東急電鉄からのバス部門の分社は,当時非常に珍しく,かつ先進的なケースとして注目されました。その後20年間で鉄道会社がバス事業を分社する例が増えましたが,当社の場合は分社して良かったと考えています。当時,東急電鉄の年間売上げは二千数百億円でしたが,バスはその10分の1程度で,鉄道とは規模が違いすぎました。同じ会社の下での運営には問題点もあり,意思決定が早い,小回りのきく組織が求められていました。 1998(平成10)年の東急トランセの設立では,バスの新しいビジネスモデルとして﹁既存のバスの概念にはとらわれない﹂ことを大きなテーマとして掲げ,具体策の一つとして﹁接遇の向上﹂に力を入れました。これはやがて東急バスにも影響し,いまでは両社が競う形で接遇の高さをアピールしています。こうした現象は東急電鉄の一部門から﹁バス専業会社﹂へと脱皮して得た意識変化の表れの一例だと見ています。 そのような中,残念ながらここ数年,重大事故を発生させてしまいました。反省から事故防止対策としてドライブレコーダーなど様々な機器の導入,指差呼称・右左折時の一旦停止など新しいルールの施行,安全教育の徹底などを進め,全社を挙げ信頼回復に努めています。安全面でも﹁日本一のバス会社﹂にすることで,東急グループが目指す﹁日本一の街﹂づくりに寄与していきたいと思います。 都市部におけるバスの走行環境,定時性への評価は必ず取締役社長 長山昭一郎に聞く20年間,魅力あるバスサービスを追求して緊急時に発揮されたバスの特性感じられるバス専業への意識変化バスの信頼性をより高めるためにTOP INTERVIEW20年間の経験を活かし﹁日本一の

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