東急バス 20周年記念誌
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内部の特徴はフリーアクセスフロア化を実施しOA機器の設置などをスムーズに行い,ICカードによる入室管理システムを導入し,セキュリティの向上を図っている。 引越しは2008年9月6日(土),7日(日)に実施した。同年8月より各課の書類整理が開始され,運搬用の専用段ボールに梱包し,予め決定された移転先の座席ナンバー等の必要事項をステッカーに記入し,テナントが退去した空室の大橋東急ビル2階フロアに順次搬入を行い準備が進められた。距離にしてわずか約200mであったが,引越し業者の2トントラックを3台でピストン輸送し,業者のスタッフ延べ78人の協力を得て無事に完了した。すべての荷物が運び出された夕方,最後に神棚の引越しを行うため,役員,部長,次長,エリア統括長が出席し,上目黒氷川神社による神事が執り行われた。 新しい本社での業務開始日である9月8日(月)の朝,本社員は出勤すると同時に,電話や社内LANの通信関係が正常に稼働するかの確認を実施した。始業開始の9時30分から,上條会長以下本社員全員で総務課神棚前にて無事故・無災害・会社の発展を祈願し,業務を開始した。移転登記は大安である9月9日に行われている。 なお,大橋東急ビル竣工時,当時の井原國芳社長により記念植樹された木は,大橋東急ビルが取り壊されるのを機に,青葉台営業所へ移植されている。名 称:東急池尻大橋ビル所在地:東京都目黒区東山三丁目8番1号構 造:鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階建て賃借面積:1,569.10㎡1. 玉川線(玉電)大橋車庫 玉電こと玉川線(渋谷~二子玉川園間)は1969(昭和44)年5月,砧線(二子玉川園~砧本村間)とともに,三軒茶屋~下高井戸間(現世田谷線)を残して廃止された軌道線である。車庫は大橋で,廃止に際してバスに引き継がれた。ちなみに玉電の渋谷駅は東急東横店の2階であった。この駅跡地は品川線(渋谷~大井町間),東名急行バス(1975=昭和50年廃止),さらに後年は都市間高速バスなどのターミナルとして使われた。バスはターンテーブルで転回したが,故障と整備に大変苦労した。道玄坂再開発でターミナルは1994年に廃止され,跡地は渋谷マークシティとなった。2. 東急バス大橋営業所 大橋営業所はこの玉電の車庫を引き継いだもので,玉川通りへの出入庫路の電車のコンクリート柵が,玉電時代の面影を残していた。同所は玉電廃止翌日に開業し,2002年9月に廃止されるまでの33年間営業した(詳細は32ページ,大橋営業所の廃止・路線移管を参照)。3. 首都高速道路大橋JCT(ジャンクション) 大橋JCTは旧山手通りの地下から3号渋谷線の本線に取り付く4層ループ構造のJCTで,3号渋谷線と中央環状線の上下/内外全4方面に接続する予定である。中央環状新宿線の全通(西新宿JCT~大橋JCT間)により,2010年3月28日に部分的に開通した。ループ部分には広大な土地が必要であり,旧大橋営業所がその対象となった。残る品川線区間(大橋JCT~大井JCT)は2013年度に開通予定。なお本社ビル跡地にも再開発の一環として超高層ビルが建設中である。4. 本社の移転先は東急修学旅行会館の跡地 現在当社が入居する東急池尻大橋ビルは,東急修学旅行会館の跡地に建てられている。同会館は東京を修学旅行先とする生徒の宿泊施設で,1955(昭和30)年に東急電鉄自動車部が直営で開業した。その後1969年に東急観光㈱の所有になり,1982(昭和57)年に閉鎖された。ちなみに現在の﹁菅刈小学校﹂停留所は,当時は﹁東急修学旅行会館﹂だった。(参考:東急観光30年史)25①玉電廃止直前の大橋車庫(1969年).②東急バス大橋営業所(1991年).③玉電渋谷駅の跡地はバスターミナルに転換された(同).④大橋JCTと周辺再開発地区の完成予想CG.⑤東急池尻大橋ビルの土地にはかつて東急修学旅行会館があった2008年9月8日,新社屋での始業に際し総務課神棚前で行われた祈願神事大橋今昔ものがたり

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