東急バス 20周年記念誌
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2001~2011年の動き組織体制の変遷と東急トランセへの委託・貸切事業譲渡 東急バスは,東急電鉄から分社した1991(平成3)年には,企画開発部,総務部,運輸部の3部体制でスタートしたが,その後,1992(平成4)年に財務部門が総務部から分かれ財務部となり4部体制となった。1997(平成9)年には開発事業の発展および東急トランセ設立のため,企画開発部が経営管理室と開発部に分かれ,1室4部体制と組織も拡大し,1999(平成11)年には営業体制の強化を図るべく営業推進本部を設置,6部体制という,東急バス20年間の中で一番大きな組織となった。 その後,事業部制の導入や開発事業の撤退に伴う開発部の廃止などを経て,2011(平成23)年6月に組織改正を行った。安全推進委員会,総務部,経営統括部,運輸部という体制にし,運輸安全マネジメントを担当する安全推進委員会を社長直轄,それ以外の部署については,組織のスリム化,効率化そしてスピーディな運営を目的として,分社時と同様の3部体制にした。 ㈱東急トランセは1998(平成10)年4月に設立,数年後に控えたバス事業の規制緩和を視野に入れ,機動力を備え既存の形にとらわれない新しい輸送を行うことができる会社を目指し,同年7月から代官山循環線の運行を開始した。開業当初はサービス・プロバイダー10人というこじんまりした体制でスタートした(注:乗務員のことをサービス・プロバイダー以下SPと称し,運転するだけでなくお客さまへサービスを提供する意味合いを持たせた)。代官山の洗練された街並みを行く赤いミニバス,SPが全員女性という親しみやすさ,運賃は150円また複数人でご利用すると2人目以降100円という今までにはない運賃サービスや,きめ細やかなサービスと新しい設備を配したこの路線は,マスコミ各社から脚光を浴びた。路線開業日には新聞・テレビ等の報道関係者が車庫に入り切れないほど取材に訪れ,バス業界としては異例の注目を集めた。 東急トランセでは,代官山循環線で培ったノウハウを活かし,1999(平成11)年8月から東急バスの路線の運営受託を開始した。当時,東急バスではお客さまサービスへの概念が薄かったが,受委託の進展とともに,東急トランセのサービスレベルを参考に,東急バス本体でのお客さまサービスの見直しが図られ,同等のサービスを提供できるようになった。東急トランセへの路線委託は,下馬営業所,弦巻営業所,瀬田営業所,淡島営業所,高津営業所と1999年から2007(平成19)年までの8年間に,渋谷から世田谷区内を中心とした都内エリアを網羅する形で行われた。 貸切バス事業については,遡れば1953(昭和28)年から東急電鉄自動車部で始まり,時代の流れとともに規模を拡大,1964(昭和39)年,東京オリンピックの年には64両と最大数を保有していた。しかしながらマイカーの普及などで徐々に収益率は下降し,減車という形でのコスト削減を行わざるを得ない状況となった。東急バスに分社以降,受注競争の激化や,海外旅行の普及などによる観光201998年の運行開始当時の代官山循環線.現在,車両はやや大型の2代目となった1998年7月28日,東急トランセが運行開始した.多くの報道陣を集めた出発式で東急トランセへの移管を目前にした1998年の下馬観光支所.この時点で貸切事業は大幅に縮小されていた3. 貸切事業の譲渡1. 組織体制について2. 東急トランセ設立から乗合路線委託

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